【特集:60年代アメリカで起こった歴史的出来事】 米国混乱の60年代ビッグイベント -反戦運動編


9/23 & 9/24
第8回公演 HAIR!

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1960年代のあれこれ!
ヒッピーたちのあれこれ!


本日のテーマは

・1960年代にアメリカで起こった歴史的な出来事

です。


今回は、「混乱の60年代ビッグイベント」から、HAIR!作中にも大きく関わる、反戦運動のひとつを紹介させていただきます。「反戦運動」と一口に言っても、物語の舞台となった60年代後半には、世界各国で、様々な規模でベトナム戦争反対の活動が盛んに行なわれていましたが、今回は「国際反戦デー」のきっかけとなった運動について描かせていただきます。

さて、この「国際反戦デー」、みなさんはいつかご存知でしょうか?
・・・正解は、10月21日です。反戦に関する集会が開かれることがとても多いこの日ですが、この謂れのきっかけとなったのは、1967年、ベトナム戦争に反対する人々がワシントンD.C.のポトマック川の畔の公園から、国防施設ペンタゴンまで歩いた、「ペンタゴン大行進」でした。10万人を超える人(そのほとんどが若者)が集まり、夜になってもペンタゴン前での座り込みが続くほどの大規模な活動となりました。座り込みをしていた人の中には、その場で徴兵カードを燃やしてしまう者もおり、現場の警備隊とは険悪なにらみ合いが続きました。

ここで事態を大きく変えたのが、「花」です。

警備隊がいつでも発射できるように構えた銃口に、ある若者が、手に持っていたカーネーションを一輪ずつ指していったのです。ヒッピーの「フラワーチルドレン」という別名にぴったりとも言えるこの行為がメディアによって伝えられ、世界各地の反戦気運が高まっていきました。

この後も、アメリカの東海岸で行なわれた反戦運動の中には、ペンタゴンへの行進や、ペンタゴン前での座り込みが度々行なわれたようです。(そして、HAIR!作中でも、ペンタゴンへの行進運動に参加する登場人物がいます!)

しかし、ペンタゴン大行進の規模の大きさや、若者による他の社会運動を知ったとき、「当時の若者は今の人と違ってガッツが凄いなぁ」と思っていましたが・・・
今とは比べ物にならないくらい個性が抑圧された時代を生きる若者にとって、周りの世界で起こっていることに対し、主体的に関わって、声を上げることで、自己を守ろうとしていたのかも知れないですね。





【特集】テーマトーク内容はこちら

・ヒッピーって何?どういう考えを持った人たち?
①ヒッピーって何者!? vol.1
②アドラーからヒッピー、そして現在でも追求されている自己のあり方!

・1960年代アメリカ映画紹介
①走る若人に悔いはなし
②胃袋を満たす愛はパリにあり

・ヒッピーの遺した名言!
①Power to the People!!!
②流れとともに生きよ!!!

・ヒッピーだったアーティスト
①当時ヒッピーだった有名アーティスト
②当時ヒッピーだった有名アーティスト ②

・1960年代の黒人さんたちの底力!
①1960年代の黒人公民権運動①Sit in
②教育における人種差別撤廃運動!

・1960年代アメリカで活躍していたディーバたち
①改めて、Diana Rossを紹介したい
②"Dionne"に親近感 今回はあの女性歌手

・ヒッピーの聖地「インド」について
①インドってどんな国?
②クリシュナについて

・ヒッピーファッションアイテムと言えばこれ!
①Hippie☆style その①
①Hippie☆style その②

・1960年代にアメリカで起こった歴史的な出来事
①米国混乱の60年代ビッグイベント Vol.1

公演情報 | 2017/09/12 20:00

【特集:ヒッピーファッション必須アイテム!】 hippie☆style その②


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1960年代のあれこれ!
ヒッピーたちのあれこれ!


本日のテーマは

・ヒッピーファッションアイテムと言えばこれ!

です。


1回ごとに違うテーマでお送りしているテーマトーク。

今回は、ヒッピーのファッションアイテムと言えばコレ!
「hippie☆styleその②」をお届けします!!


前回のその①では、ジーンズを取り上げましたが、今回は…。
「フォークロア」です♪

あれ?エスニックでは?
と思った方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、今回はあえてフォークロアのご紹介☆

なぜあえてのこのお題かと言いますと。
流行った年代が、大きく違うからです!

フォークロアは60年代半ば~なのですが、エスニックは70年代頃~と言われています。

たった10年、されど10年。
ヒッピーが生きた時代にちょうど流行っていた訳なんです。


どちらも広義的な意味では似ていて、民族風習や部族の服装のイメージを用いた、また、その国特有の織物や染め物ファッションのこと。


その中でもエスニックは、どちらかと言うと、赤や黄色・橙などの暖色系が多く、
アフリカ・南米・インドなどの地域をイメージしたアイテムの事を指すそうです。


それに対してフォークロア。
フォークロアは、アジア・アフリカより、南米・北欧・東欧・中近東などのイメージが強く、色使いは様々。
無地の物もあったりします。
エスニックよりも少し洗練されたイメージで、70年代~はハイファッションの世界でも取り上げられるようになります。

さらに、ロマンチックな雰囲気も特徴の1つ。

ボヘミアンのようなジプシーファッション要素も含まれます。



さて。フォークロアなアイテムとは?

かぎ編み(クロシェ)や手刺繍、幾何学模様など、柄やモチーフは様々です。

ロングスカートやティアードスカート、スモックやカフタンなどユルっとしたシルエットが多く、拘束感の少ないリラックスしたスタイルで、ボディに沿ったラインはありませんでした。

締め付けない、窮屈でない…といった辺りは、ジーンズとも通じるものがありますね。



ヒッピー達が生きた時代はファッション=イデオロギーを表す物でした。

そんな時代に流行ったフォークロア。

異文化感がなぜ若者達に定着したのか、、

それは、当時の物質主義・規律などのアメリカ文化に「ノー」を突きつける意味もあったのではないでしょうか。


そう考えると、今の時代も彼らが生きた時代も、“自分を表現するもの”というファッションの役割はそう変わっていないのかもしれません。


今回は、「フォークロア」についてお話しさせていただきましたが、いかがでしたか?


テーマトークブログでは、毎回様々な話題でHAIR!の世界をご紹介しています。

空いた時間に、ご観劇までの数日にetc.ぜひぜひご覧くださいませ~!!


次回は最後!
いよいよ3つ目のアイテムについてお話ししたいと思います♪

お楽しみに~(^^)





【特集】テーマトーク内容はこちら

・ヒッピーって何?どういう考えを持った人たち?
①ヒッピーって何者!? vol.1
②アドラーからヒッピー、そして現在でも追求されている自己のあり方!

・1960年代アメリカ映画紹介
①走る若人に悔いはなし
②胃袋を満たす愛はパリにあり

・ヒッピーの遺した名言!
①Power to the People!!!
②流れとともに生きよ!!!

・ヒッピーだったアーティスト
①当時ヒッピーだった有名アーティスト
②当時ヒッピーだった有名アーティスト ②

・1960年代の黒人さんたちの底力!
①1960年代の黒人公民権運動①Sit in
②教育における人種差別撤廃運動!

・1960年代アメリカで活躍していたディーバたち
①改めて、Diana Rossを紹介したい
②"Dionne"に親近感 今回はあの女性歌手

・ヒッピーの聖地「インド」について
①インドってどんな国?
②クリシュナについて

・ヒッピーファッションアイテムと言えばこれ!
①Hippie☆style その①

・1960年代にアメリカで起こった歴史的な出来事
①米国混乱の60年代ビッグイベント Vol.1

公演情報 | 2017/09/11 20:00

【特集:ヒッピーの聖地「インド」について】 クリシュナについて


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1960年代のあれこれ!
ヒッピーたちのあれこれ!


本日のテーマは

・ヒッピーの聖地「インド」について

です。


クリシュナってなんなんでしょうか?
聞いたことあるような、ないような、、、?
インドといえばヒンドゥー教。
ヒンドゥー教は、神様がいっぱいいる「多神教」の宗教です。
その中の一人にクリシュナという神がいるのです。
クリシュナはヒンドゥ教の中でも絶大な人気の神様らしいです。
なぜ、人気なのか?

とにかくかっこいい。イケメン。

そして強い。もう、いろんな悪魔とか来ても子供のころから怪力で倒しまくります。無敵です。

女性にもモテモテ。正妻のほかに1万6千人の奥さんがいて18万人の子供をもうけたとか・・・。

実は私、インド家庭にホームステイしている間にこのクリシュナが主人公の子供向けアニメをホストブラザーと見ていました。ヒンディー語で見ていたので内容はチンプンカンプン。
ですが、とにかく破壊的でなぜこんなにも乱暴的なのだろうか・・・と思ったのですが調べていて納得です。有り余る力で敵をやっつけていきます。
ホストブラザーは目をキラキラさせて
「将来僕はクリシュナになりたいんだ」
と言っていました。
きっと日本でいうウルトラマンとかタキシード仮面様なのだろうなぁと思っています。
こうやって小さいときから宗教が身近に感じれる環境なのですね。

Hairの中でも私たちヒッピーの集団(Tribe)の神聖な儀式のシーンで歌うHare Krishnaがありそこでクリシュナを拝めるような歌を歌います。

ヒッピーとクリシュナ・・・なぜ?

曲目のハレクリシュナを一言で説明するとヒンドゥ教のクリシュナ神を信仰する宗教団体だそうです。

その宗教団体の創立者であるプラブパータがベトナム戦争真っただ中のアメリカに渡航しヒッピーたちに広めたのがこのクリシュナ。
この時代とヒッピーたちの考えがマッチしたのではないでしょうか?
この宗教団体はクリシュナが最高人格主神であることを認め、クリシュナ意識になることを説く。

クリシュナ意識とは、神と自分の関係を知る、自分は何のために生きているのかを知ること。

神も生物の魂も質は同じだが、大きさが違う。

感覚的、物質的な満足は楽しんだり苦しんだりといったことが続くだけで人間としての向上はない。

道徳を向上させるだけであっても、宗教儀式を行うだけであっても十分ではない。

本当の幸福を得るためには、クリシュナを愛するほかない、としている。

ただし、クリシュナを愛するということには、ハレークリシュナマハーマントラを唱え、4つの戒律を行うことを継続することが条件であり、それが意識の向上につながるとしている。

ざっくり4つの戒律

不正な性行為はいけない。

ギャンブルはいけない。(理由のひとつとして、賭け事は大きな金額が一瞬のうちに手に入ったり失ったりする。そのことによって無用な争いを生み、殺し合いを始めるからである。)

陶酔物の摂取はいけない。(酒、タバコドラッグを指しているが、カフェイン入りのお茶、コーヒーも含める。

肉食はいけない。(肉、魚、卵を指している)。厳格にはたまねぎやニラ、にんにくもいけない。菜食主義

ポイントなのが強制でなく自発的に行う苦行というところではないでしょうか?

そこから、クリシュナを神としてヒッピーたちの中で崇めはじめたみたいですね。


まとめると、
ヒンドゥー教というよりは
ハレクリシュナという宗教団体がアメリカで布教活動をし
自給自足、あるがままの生活等の思想のヒッピー世代に影響を与え爆発的流行となった

という感じでしょうか?

なんのために生きるのか、、ベトナム戦争を目の前にして次自分が徴兵されるかも、、という生死が身近にある環境だから宗教や何かにすがりたい気持ちがでてくるのかもしれませんね。
それで、心が救われたり考え方が前向きになるのであれば自分のための信仰心であり生活の質が上がるのであれば宗教も生きることの1つなのかもしれません。





【特集】テーマトーク内容はこちら

・ヒッピーって何?どういう考えを持った人たち?
①ヒッピーって何者!? vol.1
②アドラーからヒッピー、そして現在でも追求されている自己のあり方!

・1960年代アメリカ映画紹介
①走る若人に悔いはなし
②胃袋を満たす愛はパリにあり

・ヒッピーの遺した名言!
①Power to the People!!!
②流れとともに生きよ!!!

・ヒッピーだったアーティスト
①当時ヒッピーだった有名アーティスト
②当時ヒッピーだった有名アーティスト ②

・1960年代の黒人さんたちの底力!
①1960年代の黒人公民権運動①Sit in
②教育における人種差別撤廃運動!

・1960年代アメリカで活躍していたディーバたち
①改めて、Diana Rossを紹介したい
②"Dionne"に親近感 今回はあの女性歌手

・ヒッピーの聖地「インド」について
①インドってどんな国?

・ヒッピーファッションアイテムと言えばこれ!
①Hippie☆style その①

・1960年代にアメリカで起こった歴史的な出来事
①米国混乱の60年代ビッグイベント Vol.1

公演情報 | 2017/09/10 12:00

【特集:1960年代アメリカで活躍していたディーバたち】 "Dionne"に親近感 今回はあの女性歌手


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1960年代のあれこれ!
ヒッピーたちのあれこれ!


本日のテーマは

・1960年代アメリカで活躍していたディーバたち

です。


60年代の文化を知ろうシリーズ!(?)

私の担当は、

「60年代にアメリカで活躍していた黒人女性歌手TOP3」

前回はDiana Rossをご紹介しましたが、
今回はDionne Warwickをご紹介します。

彼女をご紹介したい最大の理由。

それは、HAIR!に出てくるキャラクターと同じ名前だから。
もちろん、60年代にアメリカで大活躍した歌手です。

ハドソン川を境としてニューヨークのお隣に位置する
ニュージャージー出身の彼女。

HAIR!の舞台はニューヨークのセントラルパーク!
HAIR!の中でハドソン川やニュージャージーについての言及も!
こんな所にも親近感を感じてしまいます。

彼女のデビューは1963年ですが、
日本で1番有名な曲は1967年に発表した
I Say a Little Prayerでしょうか?

2003年のフジテレビ系で放送されたドラマ「大奥」で
現代風にアレンジされた日本人によるカバーが主題歌になってました。

Dionneが歌うオリジナルはこちら。



海外のアーティストにも多数カバーされているので
耳にしたことある方も多いのでは?

ちなみに次回ご紹介する予定のソウルの女王もカバーして大ヒットしてますね。


他にもヒット曲は多数あり、グラミーも5回受賞しています。
彼女が初めてグラミーを受賞したのは1968年。
ちょうど、HAIR!の物語の時期です。

Do You Know the Way to San Jose


受賞部門の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞に相応しく
明るくて軽いリズムがとても聴きやすい1曲です。


さて、個人でも華々しい経歴を持つ彼女ですが、
1985年にはあの有名はUSA for Africaにも参加しています。

当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のためにと
多くの大スターが賛同して参加ビッグプロジェクト。

チャリティーソングのWe Are The Worldは改めて紹介するまでもないですが、
Dionneが2番の出だしを高らかに歌い上げているので、ぜひ。




そんな彼女は2017年の今、76歳。
ばりばりの現役です。



声もまだまだまだまだ伸びやかで
めっちゃカッコイイおばあちゃん。


日本の公式サイトもあります。
https://wmg.jp/artist/dionnewarwicke/index.html

数年前にリリースされた曲が視聴できます。
YesterdayやHey Judeなどビートルズのカバーもありますよ。

前回の来日が2年前の9月。
次回来日されるならぜひ、生歌を聴きに行きたいですね。


今回も動画いっぱいの記事になってしまいましたが、
いかがでしたでしょうか?

当時活躍したDIVAはたくさんいますが、次回で最後。

トリに相応しい、Queen of Soul, Lady Soulをご紹介しますので
こちらもお楽しみに♪








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①ヒッピーって何者!? vol.1
②アドラーからヒッピー、そして現在でも追求されている自己のあり方!

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②当時ヒッピーだった有名アーティスト ②

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①1960年代の黒人公民権運動①Sit in
②教育における人種差別撤廃運動!

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①改めて、Diana Rossを紹介したい

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【特集:1960年代の黒人さんたちの底力!】 教育における人種差別撤廃運動!


9/23 & 9/24
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1960年代のあれこれ!
ヒッピーたちのあれこれ!


本日のテーマは

・1960年代の黒人さんたちの底力!

です。




2回目の今回は、教育現場における人種差別撤廃運動をご紹介いたします。


当時のアメリカ南部では、黒人と白人で公共施設が分離されていたので、

黒人は黒人用の学校に通学をしていました。

(北部でも、黒人と白人で住む地域が分かれていたため、

明確な分離政策は取られていなかったものの、慣習的に人種ごとに学校に通学していたようです。)


黒人は白人と同じように税金を納めているのに、

黒人用学校は白人学校の予算よりも少ない予算しか与えられず、

黒人が受けることができる教育のレベルも白人に比べて低いものでした。


これに抗議したのが、8歳のリンダ・ブラウンとその家族でした。

リンダ・ブラウンは家のすぐ近くの白人学校を通り過ぎ、

遠い黒人用学校に通学しなければならなかったため、

1951年アメリカ中部のカンザス州で父親が訴訟を起こしました。

(ブラウン対教育委員会裁判)


この裁判は最終的に最高裁で審理され

1952年、「公共の教育機関における児童の人種分離政策は違憲であり、

分離すれども平等という原則には根拠がない」、

1955年、「十分慎重に、かつ速やかに人種統合を実施するように」

という判決を勝ち取ります。

教育現場に限定されていた点、人種統合策に対する強制力が少なく、

それまでの慣習を温存させることが可能であった点などで

不満を残すものではありましたが、

人種差別を違憲としたこの判例は、

アフリカ系アメリカ人に他の場所にも展開できる前例を与えました。




********************************


人種統合に対する白人の抵抗としては、

KKK(クー・クラックス・クラン)が最も有名です。


分離政策以前に、そもそも南部においては、

黒人が丁寧な言葉を使わないこと、

女性を見る事触れる事、

反感を買う態度を取っただけでも、

命の保証はありませんでした。

白人女性と黒人男性の肉体関係などは究極のタブーとされていました。

(これとは反対に、白人男性と黒人女性の肉体関係は、

無理強いした場合でも罰せられないという暗黙の了解がありました。)


KKKのメンバーは、激しい人種差別主義者として、

白人に対抗しようとする黒人の家に爆弾を放り投げたり、

闇に応じてリンチを仕掛けて殺害をするということを頻繁に行っていました。


KKKには保安官も多数所属しており、

黒人が痛めつけられたり殺されたりしても、

裁判でKKKが有罪となることは当時ほとんどありませんでした。


反対に、黒人として裁判で白人の罪を告発することや、

人種差別撤廃を求めて訴訟するという行動を取ることは、

職を失ったり、脅迫電話を受けたり、家に向けて発砲されたり、

自らの命を狙われる危険を冒すことを意味しました。



******************************


公教育の現場での人種差別を違憲とする判決を勝ち取りはしたものの、

黒人学生が白人と同じ教育を受けることができるようになるには、

様々な嫌がらせや妨害を乗り越え、権利を勝ち取る必要がありました。

2つの事例を紹介させてください。





1957南部アーカンソー州リトルロックの高校で、白人用の学校に9人の黒人学生が入学をします。

しかし、入学初日には人種統合政策に反対するオーヴァル・フォーバス州知事が州兵を出動させ、

黒人学生が学校に入ることを許しませんでした。

これは、最高裁の憲法解釈に公然と歯向かう行為であったため、

アイゼンハウアー大統領は、1000人の連邦軍を配備し、

9人の生徒を護衛してようやく翌日生徒たちは学校の敷居をまたぐことができました。

白人学生からの様々な嫌がらせにも負けずに、8人の学生が無事卒業を果たしました。





1961年ミシシッピ大学への入学を拒否されたジェイムズ・メレディス。

彼は訴訟を起こし、1962年に入学を認可する判決を受けます。

しかし、バーネット州知事が、州政府の最高責任者として入学登録を拒否したことで、

州政府と連邦政府の対決が始まります。


武力闘争に発展する可能性を考え、

ケネディ大統領は300人もの連邦保安官を派遣したうえで、

入学登録の前日の夜にメレディスをキャンパスに滑り込ませました。

しかし、メレディスの入学を拒絶する差別主義者や学生が学校に集まり、

メレディス到着から1時間もしないうちに、大学を舞台に暴動が始まりました。


トラックのタイヤをナイフで尽き、石や瓶、レンガを投げつけ、手近な物を燃やし、

ライフル銃や散弾銃までが発砲され、火炎瓶が投げつけれる事態へ。

2000人以上の暴徒に対して連邦保安官は催涙ガスの使用しか許されていなかったため、

戦いは一方的なものでした。


ケネディ大統領の命令によって、

6時間後にようやく連邦軍が到着したものの、

暴動が治まったのは早朝になってからでした。


メレディスはこの日、

最初の黒人として登録をして授業へ向かいましたが、

さらなる暴動を防ぐために、

正午までに一万五千人を超える連邦軍が配置されたということです。


入学してからも様々な嫌がらせを受けましたが、

メレディスは無事に卒業します。


メレディスは数年後、

「わたしは戦場にいった経験があります。

(大学では)一日目からわたしは戦場に来ているんだと思うようにしてました。

私の目的はその当時はケネディ政権ですが、連邦政府を動かし、

一市民としてのわたしの権利を行使させるために、

アメリカ軍を使わなければならない状態を作り出すことでした」と語っています。


受動的に騒動に巻き込まれたわけではなく、

「白人優位のシステムを壊す」ために、計算をして行動した結果の勝利なんです。

本当にすごい人ですね。



黒人入学に対して、連邦軍X暴徒の暴動が発生するほどの抵抗運動が起きるほどの憎悪(?)の感情が引き起こされるのを想像するのは、

今の時代からするとちょっと難しいです。

時代ごとに価値観が形成され、

今は人種差別=悪という公式が大多数の構成員に受け入れられる社会ではないかと思いますが(差別感情や慣習は残っているにしても)、

その意識も一つ一つの差別に実際に声を上げて、平等な待遇を獲得することによって、

つまり人々の行動によって獲得されたものなのだと考えると、

遠い1960年代の公民権運動と2017年の自分が繋がるような気がします。



今回はここまでです!最終回もお楽しみに☆☆☆








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①ヒッピーって何者!? vol.1
②アドラーからヒッピー、そして現在でも追求されている自己のあり方!

・1960年代アメリカ映画紹介
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②胃袋を満たす愛はパリにあり

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①Power to the People!!!
②流れとともに生きよ!!!

・ヒッピーだったアーティスト
①当時ヒッピーだった有名アーティスト
②当時ヒッピーだった有名アーティスト ②

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