世迷い言

こんばんは、木曜の夜ですね。
社会人の方にも、学生の方にも、休日への突破口が見えてほっとしている方が多い、でしょうか。

アマチュアである私たちの練習日は日曜で、普段は各々仕事やら学校やらを抱えています。(そりゃそうじゃ)
かく言う私の職場は学校なのですが、教壇に立つことと舞台に立つこと、重なることが多いなぁ、と改めて感じます。

生徒の前に立つからには、科目内容を問わず、新しい何かに興味を持ったり、「勉強も悪かぁない」なんて思ったり、そんな変化を誘発したいな、と常に念じています。これって漠然としているし、人の何かを変えるなんてのは、無謀かもしれない、でも夢みるのはタダです。このタダの上に全てが成り立つ気もします。
とりあえず、手元にある「教科書」という、ウケの悪い原作を自分流に捻る。台詞を加える、演出を変える。工夫しながらも、「ここを伝える」という目標は絶対に見失ってはならない。
この時点で、大きくて遠い目標(夢)と繋がっているけれど、もっと明瞭で、うまく運べば届くかもしれない目標ができます。
で、緻密に考えたは良いものの、受け取る側の反応次第で、コロコロ変わってしまいます。「これぞ」と用意した切り札が効かないかもしれないし、出せず仕舞いかも。逆に、咄嗟に出した一枚が、隠れた力を持っていることもあります。これが、「生もの」のリスクと旨味。
結局、どれだけ自分が原作から読みとった重要ポイントを伝えようとしても、それを素直に受け取ってくれる生徒は少ないのです。でももし、苦し紛れに出たアドリブに食いつく子、一休みのつもりで話した事に「おっ」と反応する子がいたならば、それはひょっとしたら大成功かもしれないのです。だって、大きな目標が、ほんの少し、近くなったかもしれないから。


劇団の活動では、舞台に立つ人数も、対面するお客様の数も違えど、前に進む方法は一緒。
観た人の心に、ちょっと何かを残したり動かしたりしたいなぁという巨大な夢を、その演目ならではのメッセージ、そして、その登場人物ならではのメッセージを伝えることで手繰り寄せる。

目標が漠然としているだけに、終わりなき挑戦には付き物の、野心的な楽しみと臆病な苦しみも似ているのかも。
ただ、一人で前に立つのと違って、チームで目標を共有することで、人数分のメッセージを発しながらだったら、互いにそれらを強め合いながらだったら、もっともっと巨大な夢を追いかけ続けることができるかも?という無茶な期待が止まないのです。



・・・戯れ言に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。次回は、6/24の練習模様をお伝えします!
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稽古場日誌 と テーマトーク | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/06/22 01:11
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