just a silly romantic

こんにちは。やっと春めいてきてうれしいですね。
今度のお出かけのために、春の色をした新しいワンピースとリュックを買ってしまいました。
クロゼットにはしまわず、部屋につるしておいたりして、それをながめてはいまからうきうきしています。


2月から練習が始まり、あっという間に2ヶ月半がたってしまいました。
その間にひとつ年度が終わり、新しい年度もはじまりました。
月日は百代の過客にしてとはまさにです。

さて、今回のテーマは「感動した出来事」です。

通勤途中に朝の光があたった緑色がきれいだったり、見上げた空に新月とビルがとても美しい構図をつくっていたり、
ハードルが低いというか、沸点が低いというか、単に涙腺がもろいのか、年をとったせいかもしれないのですが、このごろ無性にそういうことにすぐ感動してしまって、すぐ泣きそうになります。

なのであげていくと限りがないというか、何を書こうか全然決まらなかったので、
「涙がでた」という基準で、ここ1ヶ月くらいの感動した出来事をあげようかと思います。

・映画「The Secret Garden」(アニエスカ・ホランド監督)
だいたいずっと泣きそうだったのですが、
花園に花が咲くシーンでは涙と鼻水がとまりませんでした。(花粉症というわけではなく)
メアリーもコリンもお屋敷の人も全員大好きですが、マーサが一番好きです。
メアリーが最初に救われたのはマーサのやさしさだと思います。

・ルワンダの話
JICAの国際協力レポーターの報告書で、とある人のルワンダについての報告を読んで
ルワンダの歴史といまの話、そしてカガメ大統領の話、その大統領を尊敬しているルワンダの人の言葉に胸をうたれました。
恥ずかしながらルワンダ=民族紛争くらいしか知らなかったのですが、ルワンダのいまを伝えるその報告書自体もとても勉強になりました。
それからわたしもこのJICAの国際協力レポーター派遣にチャレンジしたいという野望がまたひとつ増えてしまいました。

・友人の赤ちゃん
昨年友人に子供が生まれ、この間会ったときに抱かせてもらったのですが、なんだかすごく感動してしまいました。
赤ちゃんというのは、生きている人間より、まだ神様のところにいる人間に近いというか、そんな、とても神聖なものだと感じました。
あととにかくとにかくとにかくかわいいですね。かわいいです。本当にかわいいだけで涙がでます。なんてすごいんだ。
そしてそんなパワーフルでミラクルな子どもという存在を当たり前の顔して生んで育てている友人が、というか世の中の親全員が何よりすごい。なんてすごいんだ。

・絵本「we are all alike…we are all different」
子どもによる子どものための外国の絵本です。もうタイトルのとおりなんですが、号泣です。こういうときひとり暮らしでよかったと思います。
きっと当たり前のことなのですが、日本にいて日本人にかこまれていると、逆に感じにくい感覚かもしれないと思いました。



しかし、最も感動したことといえば、なんといっても13日の練習での第1幕・第2幕、すべて通しの読み合わせです。
演者としてこんな気持ちではいけないのかもしれないのですが、初めて台詞と音楽つきでこの物語を全て通して読んでみて、改めてこの作品にとても感動しました。
とくにわたしの脆い涙腺が危なくなったのが、第2幕の途中での大きな出来事、それからの登場人物たちの変化や、それぞれの心情や決意、そしてフィナーレ。
もし読み合わせじゃなかったら、もしあのときふつうに観客としてみていたら、第2幕はずっと泣いていたかもしれません。

それぞれの場面で歌われる曲が、曲として素敵なことはもちろん、その場面を表現していて素晴らしいですし、
何より曲や言葉,それらをすべてのせた脚本がとても素晴らしいのです。


でも、わたしはこのDreamgirlsで、人生で初めて舞台で演じることをするわけですが、
そうやって感動した!で終わっていては、いままでの観る側と同じになってしまう、
今回はわたしは演じるのだから、さらにもう一歩、こんな気持ちを当日観客へ伝えなくてはならないのだなと思いました。

ただし、わたしは読み合わせをしながら脚本でストーリーを追っていたけど、観客はもちろん脚本を読まずに観る。
しかも、わたしは読み合わせ前にも脚本を読んでいるし、歌は知っているし、ストーリーについての前知識もある。すでに練習を始めて2ヶ月と少し、思い入れもできてきた。
しかし、ほとんどの観客がこの舞台を観るのは一度きり。その日の幕があがってからこの作品を知ることになる。
舞台でわたしたちが表現できたものだけが、その日観た人にとっての「Dreamgirls」になる。

そんな条件を考えると、自分が感動したように観客を感動させるのは、なんと難しいのだろう、と思わずにはいられません。
そして、この作品をよいと思ってもらえるか、イマイチだと思われるか、そもそも物語を理解してもらえるのか、それは全て自分たちにかかっているわけで、
それは、この素晴らしい作品に対して、なんて重い責任をもっているんだろう、と思いました。


読み合わせ直後は、ただただ感動していただけだったのですが、そんな気持ちでは駄目なのだと気がつきました。
観る側から、観せる側へ。より意識を変えて、努力をしなくてはならないと思いました。

でもこの日わたしが感じた感動は忘れず、この素晴らしい作品をつくりあげる一人になれる喜びを、9月の舞台まで大切に育てたいと思います。
そして、観に来てくれた人たちを感動させたい、そんな決意を新たにすることができました。


この日の練習でもうひとつ学んだ大切なことが、キャラクターの分析と、演じることについてです。

舞台のパンフレットの俳優さんのコメントで、
よく「(その人が演じた役)は最高の友人です」とか「(役)とお別れするのが寂しいです」というような言葉をみることがありますが、
いまいちどういう感覚なのかわからなかったのですが、この日の説明をきいて、少しだけ意味に近づけたような気がしました。

演じるというのは、脚本に書いてあるとおりに、しゃべり動き歌い踊ることだけではもちろんないし、
かといって、やっぱりわたしはわたしでしかないから、降霊させるように自分がその役になりきるわけでもなくて、

そのキャラクターと、いっしょに笑い泣き考え、いっしょに生活をするみたいに、とても身近な存在にしていくこと、
もし誰かが、「その人(役)はどんな人なの」ときいてくれたら、長年の友人を紹介するみたいにその人を紹介できること、
いまはまだ脚本のインクのにじみでしかない彼らを、自分がすくいあげて、舞台上で心臓と歴史をもったひとりの人間として存在させてあげること、
そんなことを考えました。


この舞台のその役を演じるのはわたしひとりなのだから、わたしが一番の理解者であり、一番の友人になりたいと思います。
そして上でも書いたように、わたしがこの役について舞台上で表現できたことが、観客にとってのこの役の全てになるということは、
作品に対してと同じくらい、むしろ責任の所存でいくとそれ以上に、重責であると感じました。

でもその分,この作品で感動させたいという気持ちと同じくらい、出番は少ないけれど、
わたしの役を、わたしの友人を、観客の方に好きになってもらえるよう努力したいと思いました。


それからそのためにはダンスや歌はまだまだ相当努力しないと、当たり前のレベルにも達しないことも痛感しました。

そういうことを考えると、うまくいかなくて悔しいことや、これからできるようになるのかという不安や、
それにこれからダンスや歌をもうあまりじっくりみてもらえない、自分でちゃんとやらなくちゃいけない、
でも時間はどんどんすぎていく…そんなことがぽやぽやぽやぽやと山ほどうかんできて、ため息がでてしまいそうですが、

けれど、何より思うことは、
いままでわたしが読んできた本や、観た作品のなかにも、たくさんのかけがえのない友人たちがいます、
今回は色んな重圧もありますが、それ以上に、新しくとても素敵な友人を得られることをうれしく思うということです。
あせる気持ちや不安な気持ちは尽きませんが、そんなあたたかい気持ちをより大切にしたいです。


しかし役のことだけではなくて、「友人」というと少し感覚が違うのかもしれませんが、
この劇団にはいって、いまはほぼ毎週みなさんとお会いして8時間ほどいっしょに過ごしていますが、それってすごいことですよね。
社会人だとなおさら、毎週8時間会うって、どんなに仲の良い友人でも難しいことだと思いますが、あっさり毎週会っている。
ひとり暮らしのわたしにとっては、いまは家族よりも長く、職場の人の次に、長く会っている人たちになるかもしれません。
またこういうことにも感動していたりしています。9月までどうぞよろしくお願いします。

というわけで(?)、次回のテーマは「8時間」でお願いします。
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稽古場日誌 と テーマトーク | 2014/04/15 19:11