世の中は説明できない事だらけ

こんばんは。またもやRです。

私の身近にいる高校生の間で、「えぐい」という言葉が流行っております。

宿題をたくさん出された授業の後「先生えぐいし」と愚痴り、
二日連続で徹夜だと話す同級生に「それえぐいな」と感心し、
クラブメイトのナイスプレーに「今のはえぐい!」と歓ぶ。

どの世代でもひき起こる「若者言葉」というやつですね。「やばい」も健在です。

この若者言葉、賛否両論あるけれど、使った人の意図が、聞く人に通じているのであれば、コミュニケーションツールとしてきちんと成り立つ、ということになるのかな…と考えると、そもそも私たちが使っているひとつひとつの言葉の定義って、不安定だなぁ、とつくづく思います。

よく意見の相違が起こる単純な例が、色。ピンクなのか紫なのか。青か緑か…むしろ青みがかった緑なのか、緑がかった青というべきか。
でも、色は最悪、「この色!」と見せることができますよね。

では、観念的で、感情的な概念はどうでしょうか。
「幸福」「正義」「優しさ」「友情」…あげるとキリがありませんね。
思えば、小さい頃は、本や漫画の世界でこういったことばをよく見ました。「みんな幸せに暮らしました」とか。「正義の味方」とか。
だから、そういうことばが、大きな力をもっているような気がして、それを使うのがかっこいい気がして、「どうだ!」と言わんばかりに使っていたかもしれません。

でもいつか、ふと考える時がやってくる。
…幸せになりたいってのは、具体的にはどうなりたいんだろう。
…正しいのはわかっているのに、納得できない。
…あれは優しさじゃなくて、甘さじゃないだろうか。
…あの人は、自分のことを友達だと思っているのか。

そうして葛藤する時がやってくる。
他の人の中にある定義と、自分の定義とのギャップに。
「相互理解」の難しさに。

そうして気づく時がやってくる。
全てまともに取り合っていては、キリがないことに。
少しずつ、適当に折り合いをつけることに慣れていく自分に。

ことばの重い定義は削り取られ、それでも扱いにくいものは、胸の奥で時にもてあそばれながらも、誰かに伝えられる機会はぐんと減る。
そうやって失敗の数を売り、後味の悪い苦しみを買う。


WICKED!の世界の人々も、同じように苦しんでいます。
それぞれエゴにまみれた「正義」「幸せ」「愛」もろもろを掲げて、前へ進もうとしています。
もし、公演の中で一つでも、「このキャラクターの○○しちゃう気持ち、わかるな」
と思えたなら、もうひと踏ん張りして、自分の設定した定義を考えてみてください。
キャラクターを、心の中のややこしい世界に入る手段として、どうぞ使ってください。
関連記事
稽古場日誌 と テーマトーク | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/10 00:34
コメント

管理者のみに表示